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ひふみんこと加藤一二三の死因は何?病気だった?葬儀・喪主は誰たったのか徹底調査

ひふみん 加藤一二三 ※イメージ画像

今日はとても悲しいニュースが入ってきました。 将棋界の生きる伝説であり、「ひふみん」の愛称でお茶の間から深く愛された加藤一二三さんが、天国へと旅立たれました。

2026年1月22日、突然の訃報に驚かれた方も多いのではないでしょうか。 「神武以来の天才」と呼ばれた若い頃の凄まじい活躍から、晩年の愛らしいキャラクターまで、加藤一二三さんは常に私たちの心を温かく、そして熱くしてくれました。

この記事では、加藤一二三さんの訃報に際し、多くの方が気になっているであろう以下の情報を、感謝と追悼の意を込めて丁寧にまとめました。

  • 加藤一二三さんの死因や病状の詳細
  • 葬儀や告別式の日程、喪主について
  • 最愛の妻・紀代さんや子供、孫たちとの家族の絆
  • 「神武以来の天才」と呼ばれた若い頃の伝説的経歴
  • 藤井聡太名人や羽生善治九段との深い関係性
  • 知られざる猫とのエピソードや裁判の真相

ひふみんが私たちに残してくれた数々の感動と教訓を、一緒に振り返っていきましょう。


【訃報】ひふみんこと加藤一二三さんが86歳で死去!最期の場所は都内病院か

日本中を笑顔にしてくれた将棋界のレジェンド、加藤一二三さんがこの世を去りました。 まずは、公表された訃報の事実関係について整理していきます。

2026年1月22日の未明に旅立つ!所属事務所と将棋連盟が公表

所属事務所であるワタナベエンターテインメントおよび日本将棋連盟の発表によると、加藤一二三さんが亡くなられたのは、2026年1月22日(木)の午前3時15分のことでした。

場所は東京都内の病院とされており、一部の情報では東京都済生会中央病院であるとも報じられています。 未明の時間帯、静かに息を引き取られたのでしょうか。 その最期は、ご家族に見守られての旅立ちだったと伝えられています。

これまで数々の名勝負を繰り広げ、引退後もタレントとして精力的に活動されていた加藤さん。 その訃報は瞬く間に広がり、ネット上でも「信じられない」「今までありがとう」といった悲しみの声が溢れかえっています。

現在の年齢は86歳!一昨年の正月明けから体調を崩していた

加藤一二三さんの享年は86歳でした。

報道によると、加藤さんは2024年(一昨年)のお正月を過ぎたあたりから体調を崩されていたそうです。 その後は入退院を繰り返す生活が続いていたとのこと。

それでも、将棋への情熱や公の場への意欲は失われていませんでした。 2024年11月に行われたギネス世界記録の認定式や、2025年5月の棋王戦50周年記念祝賀会には、車椅子姿ではありましたが元気な姿を見せてくれていました。

最後まで「ひふみん」らしく、私たちに笑顔と勇気を届けてくれようとしていたその姿勢に、改めて胸が熱くなります。 86歳という年齢は、現代では決して早すぎるわけではありませんが、あの元気な声がもう聞けないと思うと、やはり寂しさが募りますね。


加藤一二三さんの死因は何?病気だった?高齢者に多い肺炎のリスクとは

加藤一二三さんの命を奪った原因は何だったのでしょうか。 発表された死因と、高齢者にとってのリスクについて詳しく見ていきましょう。

死因は肺炎と判明!呼吸器系の状態が思わしくなかった闘病生活

公式発表によると、加藤一二三さんの直接の死因は「肺炎」でした。

亡くなる直前も呼吸器系の状態があまり思わしくなかったそうで、懸命な治療が続けられていたようです。 2017年には胆石性急性胆嚢炎の手術を受けたこともありましたが、今回は呼吸器の疾患が体に大きな負担をかけてしまったのかもしれません。

「1分将棋の神様」と呼ばれ、盤上では強靭な精神力と体力を発揮し続けた加藤さん。 しかし、80代半ばという高齢に加え、長年の闘いの疲れもあったのでしょうか。 病魔との闘いは、私たちが想像する以上に過酷なものだったのかもしれません。

高齢者の死因上位である肺炎とは?誤嚥性肺炎のリスクと予防

ここで少し、高齢者の死因として非常に多い「肺炎」について触れておきたいと思います。

厚生労働省の統計などを見ても、肺炎は日本人の死因の上位に常に位置しています。 特に高齢者の場合、加齢によって「飲み込む力(嚥下機能)」や「咳をする力」が弱まることで発症する「誤嚥性肺炎」のリスクが非常に高くなります。

  • 免疫力の低下:細菌やウイルスと戦う力が弱まる
  • 嚥下機能の低下:食べ物や唾液が気管に入りやすくなる
  • 咳反射の低下:異物を外に出す力が弱まる

これらの要因が重なり、風邪などをきっかけに重症化してしまうケースが後を絶ちません。 加藤さんの場合も、入退院を繰り返す中で体力が低下し、免疫力が落ちていた可能性が考えられます。

私たちも、高齢の家族がいる場合は、口腔ケアや誤嚥予防のリハビリ、予防接種など、日頃からのケアの重要性を改めて認識する必要がありますね。


加藤一二三さんの葬儀や告別式はどうなった?喪主は長男の順一さんが務める予定

国民的スターであった加藤一二三さん。 その最後のお見送りはどのように行われるのでしょうか。

葬儀はカトリック麹町聖イグナチオ教会で執り行われる予定

加藤一二三さんは、敬虔なカトリック信者(クリスチャン)として知られていました。 そのため、葬儀・告別式は彼が長年信仰を捧げてきたカトリック麹町聖イグナチオ教会(東京都千代田区)で執り行われる予定です。

日程については、報道によると2026年1月28日(火)の午後1時30分から告別式が行われるとのこと。 また、前日の27日には通夜にあたる儀式も同教会で行われるようです。

聖イグナチオ教会は、加藤さんが奥様とともに結婚講座の講師を務めるなど、人生の多くの時間を過ごした大切な場所。 神様のもとへ召される最後の場所として、これほどふさわしい場所はないでしょう。 きっと安らかなお顔で旅立たれることと思います。

喪主は長男の加藤順一さん!お別れの会も後日開催へ

葬儀の喪主は、加藤さんの長男である加藤順一(じゅんいち)さんが務められます。

今回の葬儀は近親者を中心に執り行われる形になるようですが、所属事務所によると、ファンの皆様や関係者がお別れをするための「お別れの会」も後日開催する予定だそうです。

多くのファンに愛されたひふみんですから、きっとたくさんの方が感謝を伝えたいと思っているはず。 お別れの会の詳細が決まり次第、またニュースなどで報じられることでしょう。 私たちファンにとっても、心の整理をつける大切な機会になりそうです。


加藤一二三さんとは何者?神武以来の天才と呼ばれたwiki経歴とプロフィール

ここで改めて、加藤一二三さんがどのような人物だったのか、その偉大な経歴(プロフィール)を振り返ってみたいと思います。 「ひふみん」という愛称の裏には、とてつもない伝説がありました。

福岡県嘉麻市出身で「一月一日の三男」が名前の由来

加藤一二三さんは、1940年(昭和15年)1月1日に福岡県嘉麻郡稲築村(現在の嘉麻市)で生まれました。

あのおめでたい名前「一二三(ひふみ)」の由来をご存知でしょうか? これは、「一月一日に生まれた三男」であることから名付けられたそうです。 まさに生まれながらにして、覚えやすく、縁起の良い名前を持っていたんですね。

幼少期は炭鉱町で育ち、炭鉱夫たちが楽しむ「縁台将棋」を見て将棋を覚えたそうです。 天才の原点は、福岡の炭鉱町の日常風景の中にあったのです。

14歳でプロ入り!藤井聡太以前の最年少記録保持者だった

加藤一二三さんを語る上で欠かせないのが、「史上初の中学生棋士」という称号です。

1954年8月1日、なんとわずか14歳7ヶ月でプロ棋士(四段)になりました。 この記録は、2016年に藤井聡太さんが14歳2ヶ月で更新するまで、実に62年間もの間、誰にも破られることのない不滅の大記録でした。

「神武以来(じんむこのかた)の天才」

当時のマスコミは、加藤さんの才能をこう称えました。 これは日本の歴史が始まって以来の天才という意味で、当時の神武景気という言葉にかけた流行語でもありましたが、それほどまでに衝撃的なデビューだったのです。

クリスチャンとしての顔!洗礼名はパウロで騎士団勲章も受章

将棋の強さだけでなく、その信仰心の厚さも加藤さんの大きな特徴でした。 30歳のクリスマスの日にカトリックの洗礼を受け、洗礼名は「パウロ」

その信仰は形だけのものではなく、1986年にはローマ教皇庁から「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」を授与されています。 つまり、加藤さんは本物の「騎士(ナイト)」でもあったのです!

対局中に賛美歌を口ずさむ(もちろん席を外してですが)というエピソードも有名ですが、信仰は勝負の世界に生きる加藤さんの心を支える大きな柱だったのですね。 「1分将棋の神様」と呼ばれることを嫌い、「神様という言葉は恐れ多い、達人と呼んでほしい」と語っていた実直な人柄が偲ばれます。


加藤一二三さんの妻は誰?中学時代の同級生・紀代さんとの純愛馴れ初め

加藤一二三さんの人生を語る上で、奥様の存在は絶対に欠かせません。 まるでドラマのような純愛エピソードをご紹介します。

授業のノートを貸してくれたのが恋のきっかけ!成人式に結婚

加藤さんの奥様のお名前は、紀代(きよ)さん。 お二人の出会いは、なんと中学校時代にまで遡ります。

中学生でプロ棋士となった加藤さんは、対局で東京や大阪へ行くことが多く、学校の授業を休みがちになっていました。 そんな時、授業のノートを丁寧に取って届けてくれたのが、同級生の紀代さんだったのです。

この献身的な優しさに心を打たれた加藤さんは、高校卒業の頃には「この人と結婚したい」と決意。 そして1960年、お二人が20歳を迎えた成人式の日に結婚式を挙げました。

中学生の時のノートの貸し借りがきっかけで、そのままゴールイン。 そして64年以上も連れ添うなんて、今の時代では考えられないような純愛ですよね。 加藤さん自身もSNSで「これ、実話です、うふふ」と認めていたのが印象的でした。

引退時に「共に魂を燃やした」と感謝を捧げた愛妻家エピソード

加藤さんは大変な愛妻家としても知られていました。

2017年6月20日、現役引退が決まった最後の対局の日。 加藤さんは報道陣への会見を行わず、まっすぐに自宅へ帰りました。 その理由は、「まずは今まで支えてくれた妻や家族に報告し、感謝を伝えたかったから」

後日行われた引退会見では、奥様に向けて次のような感動的な言葉を送っています。

「長年にわたって私とともに魂を燃やし、ともに歩んできてくれた妻に対して、深い感謝の気持ちを改めてここに表明する次第です」

将棋という孤独な戦いの場で戦い続けられたのは、紀代さんが家庭をしっかりと守り、精神的に支え続けてくれたからこそ。 将棋のルールすら知らなかったという紀代さんですが、「あなたは芸術家なんだから」と励まし続けたそうです。 お二人の絆の深さに、涙が出そうになりますね。


加藤一二三さんの子供と孫は何人?次女は仙台白百合女子大学長の美紀さん

加藤一二三さんは大家族の長でもありました。 お子さんやお孫さんたちも、それぞれ立派に活躍されています。

子供は1男3女の4人!家族全員が敬虔なカトリック信者

加藤さんと紀代さんの間には、1男3女の計4人のお子さんがいらっしゃいます。 ご家族全員が熱心なカトリック信者で、お子さんが小さい頃は家族揃ってミサに参加し、食事の前には賛美歌を歌っていたそうです。

温かい家庭環境が目に浮かびますね。 加藤さんは家庭では「イクメン」の先駆けでもあり、幼稚園の送り迎えなども積極的に行っていたそうです。

長女は西口由紀さんで次女は美紀さん!教育者の道へ進む娘たち

お子さんたちの現在についても少し触れておきましょう。

  • 長女:西口由紀(ゆき)さん 文藝春秋などで父・一二三さんの素顔について寄稿されています。家庭での父の優しい一面を語り継いでくれています。
  • 次女:加藤美紀(みき)さん なんと、仙台白百合女子大学の学長を務められています(2024年就任)。教育哲学や宗教教育の専門家として活躍されており、父である一二三さんも同大学の客員教授を務めていました。
  • 三女:百合(ゆり)さん 過去には父のマネージャーを務めたこともあるそうです。スペインの教会で結婚式を挙げられたとのこと。
  • 長男:加藤順一(じゅんいち)さん 今回の葬儀で喪主を務められます。上智大学出身とのことです。

孫の奈美さんがテレビ出演!ひふみんの遺伝子を継ぐ家族の絆

加藤さんにはお孫さんもいらっしゃいます。 以前、テレビ番組「深イイ話」にお孫さんの奈美さんが出演されたことがありました。

番組では「祖父は加藤一二三さん」と紹介され、加藤さんの天然エピソードなどを笑顔で話されていました。 谷川浩司十七世名人の追悼コメントにも「自分の子供や孫のような年代の後輩棋士相手に闘志満々で戦う姿」という言葉があった通り、加藤さんは孫世代の棋士たちとも本気で向き合ってきました。

家族に見守られ、孫たちにも愛された幸せな人生だったのではないでしょうか。


加藤一二三さんの若い頃は何してた?「神武以来の天才」の伝説的な凄さ

「ひふみん」としての愛らしいおじいちゃんキャラが定着していましたが、若い頃の加藤一二三さんは、本当に、本当に凄かったんです。 どれくらい凄かったのか、改めてその伝説をご紹介します。

18歳でA級八段昇級!藤井聡太も破れない不滅の最年少記録

加藤さんが持っている記録の中で、いまだに誰にも、あの藤井聡太名人ですら破れていない大記録があります。 それが、「18歳3ヶ月でのA級昇級」です。

将棋界には「順位戦」というクラス分けがあり、C級2組からスタートしてA級まで上がるには、最短でも4年はかかります。 加藤さんはデビューから一度も足踏みすることなく、4年連続で昇級し続け、ストレートで最高峰のA級(名人への挑戦権を争うクラス)まで駆け上がったのです。

藤井聡太さんも中学生でデビューしましたが、順位戦の制度上、18歳でのA級入りは物理的に不可能でした。 加藤さんがこの記録について藤井さんに話したとき、藤井さんは指を折って数えてから「確かに抜けませんね」と納得したというエピソードがあります。

42歳で悲願の名人位獲得!中原誠との十番勝負は語り草

若くして天才と呼ばれながらも、タイトル獲得には苦労しました。 同時代に「大山康晴」という巨大な壁が立ちはだかっていたからです。

しかし、加藤さんは諦めませんでした。 そして1982年、42歳の時に当時の第一人者・中原誠名人に挑戦。 この「第40期名人戦」は、引き分け(持将棋・千日手)などが重なり、決着がつくまでになんと10局も戦うという、将棋史上稀に見る死闘となりました。

真夏の7月末まで続いたこの戦いを制し、加藤さんはついに悲願の「名人位」を獲得。 「中年の星」として多くの人々に勇気を与えた瞬間でした。 この粘り強さと闘志こそが、加藤一二三という棋士の真骨頂だったのです。


加藤一二三さんと藤井聡太名人の関係性とは?62歳差のデビュー戦対局

将棋界の歴史をつなぐ象徴的な出来事として、藤井聡太さんとの関係は外せません。

2016年の竜王戦で対決!「負かされて良かった」と天才を認めた日

2016年12月24日、クリスマスイブ。 将棋界に新たな歴史が刻まれました。

当時14歳2ヶ月でデビューした藤井聡太四段の初対局の相手が、当時76歳8ヶ月の現役最年長・加藤一二三九段だったのです。 その年齢差はなんと62歳6ヶ月

おじいちゃんと孫以上の年齢差がある対決でしたが、加藤さんは一切手加減せず、闘志むき出しで挑みました。 結果は藤井さんの勝利。

対局後、加藤さんは「うまく負かされた。彼の大局観は素晴らしい」と若き天才を絶賛。 「私の記録が破られたのが藤井さんで良かった」と語り、自身の記録を更新した後輩を温かく見守り続けました。

藤井聡太名人が追悼コメント「信念を貫く姿勢を学んだ」

加藤さんの訃報を受け、現在の将棋界を牽引する藤井聡太名人もコメントを発表しています。

「この度の訃報に大変驚いておりますが、安らかに天に召されられたことと思います。長きにわたり将棋界を代表する棋士としてご活躍されたことに深く敬意を表するとともに、信念を貫く姿勢を直に学ばせていただいたことに改めて感謝を申し上げます」

加藤さんの背中は、間違いなく次の世代へと受け継がれています。 二人の天才が盤上で交わした会話は、永遠に語り継がれることでしょう。


加藤一二三さんと羽生善治九段の関係性とは?伝説の「5二銀」とリスペクト

もう一人のレジェンド、羽生善治九段との関係も深いものがありました。

現役生活63年は空前絶後の大記録!羽生善治九段が贈った言葉

羽生善治九段は、加藤さんの訃報に際し、次のような追悼コメントを寄せています。

「加藤一二三先生は生涯をかけて将棋に打ち込まれていた偉大な棋士でした。現役生活63年は空前絶後の大記録でありましたし、気力と情熱を失わずに盤上と格闘する姿にいつも敬意を感じていました」

羽生さん自身も国民的スターですが、その羽生さんが「空前絶後」と評するほどの現役生活。 加藤さんがどれだけ長い間、第一線で戦い続けてきたかが分かります。

みかん3つ早食いに対局中の板チョコ!羽生善治も驚いた伝説

羽生さんと加藤さんの対局には、面白いエピソードも残っています。

ある対局中、加藤さんがおやつの時間にミカン3つを猛スピードで完食したり、板チョコを何枚もバリバリと食べたりする姿に、ポーカーフェイスの羽生さんも思わず驚いて凝視してしまったとか。

また、1989年のNHK杯での対局では、羽生さんが放った伝説の妙手「5二銀」に対し、加藤さんが頭を抱えて投了するシーンが有名です。 この時、解説の米長邦雄さんが「おおおお!!」と絶叫したことでも知られていますが、この名局を生み出したのも、加藤一二三という偉大な壁があったからこそなんですよね。


加藤一二三さんと猫のエピソードとは?餌やり裁判の裏にある動物愛護の精神

最後に、加藤さんの優しさと、それゆえに起きてしまった少しほろ苦いエピソードについても触れておきます。 それは「猫」に関するお話です。

自宅マンションでの野良猫餌やりトラブル!裁判では敗訴も信念貫く

無類の猫好きだった加藤さん。 2000年代、自宅マンションの敷地内で野良猫に餌を与え続けていたことが、近隣住民とのトラブルに発展し、裁判になったことがありました。

住民側は「糞尿被害や鳴き声で迷惑している」と主張。 一方、加藤さんは「お腹を空かせた猫を見捨てられない」「野良猫を管理して不幸な命を減らすための活動だ」と、動物愛護の精神を主張しました。

結果として裁判では加藤さん側が敗訴し、餌やりの禁止と慰謝料の支払いを命じられました。 しかし、加藤さんは判決後も「猫の命がある限り、法に触れない範囲で守ってやりたい」と語り、その信念を曲げませんでした。

現代では「地域猫活動」などの理解も進んでいますが、当時はまだ難しかったのかもしれません。 ただ、加藤さんの行動の根底にあったのが「命への深い慈しみ」であったことは間違いありません。

「君たちも将棋に興味があるのかい?」猫に話しかける優しい人柄

こんな可愛らしいエピソードもあります。

雨宿りをしている猫たちを見かけた加藤さんが、優しくこう話しかけたそうです。 「ハロー。君たちも将棋に興味があるのかい?」

これこそが、ひふみんの真骨頂ですよね。 すべての生き物に対して対等で、優しく、そしてユーモアがある。 裁判という形にはなりましたが、加藤さんの心の中には常に「愛」があったのだと思います。


まとめ:加藤一二三さん、たくさんの感動をありがとうございました

ここまで、加藤一二三さんの訃報とその生涯についてまとめてきました。

「神武以来の天才」として将棋界の頂点を極め、晩年は「ひふみん」として日本中を笑顔にした86年の人生。 肺炎という病と闘いながら、最後まで生きることを諦めなかったその姿は、まさに「騎士(ナイト)」そのものでした。

妻・紀代さんをはじめとするご家族の愛に包まれ、神様のもとへと旅立たれた加藤一二三さん。 天国では、大山康晴さんや升田幸三さんといったかつてのライバルたちと、大好きなうな重を食べながら、終わりのない感想戦を楽しんでいるかもしれませんね。

私たちは、加藤さんが残してくれた情熱と優しさを、決して忘れません。 心よりご冥福をお祈りいたします。